てんつくマン日記

上杉鷹山 上杉鷹山
2003年1月23日(木)
(写真)みにゆきだるま

東京に帰ってきて、また、風邪をひいて、そしてほとんど完治。
そして、とてつもない歴史上を知ることが出来た。
知る人ぞ知る、「上杉鷹山」
彼は、17歳の時に財政がきつくてしょうがなかった、小さい米沢藩に養子として行く。
行った先の奥さんは、重度の障害者だった。
しかし、鷹山は彼女の笑顔の素晴らしさに感動して、逆に愛を深める。
「この人の笑顔を守りたい」
米沢藩は、貧乏丸出しの汚職だらけ、今で言えば、税金の80%人件費というとんでもない藩で、もう藩を幕府に返したらとみんなに言われていたほどの弱小だった。
鷹山は心に誓う。「絶対に藩を立て直す」
鷹山は、始め江戸にある米沢藩邸にいたが、二年後、初めて自分の新しい土地へと向かう。
本当は、1000人の行列で帰るのが当たり前だったが、藩にはお金がないので、見栄など捨て、たったの10数人で帰ることを決める。それはその当時、凄いことだった。鷹山は大改革をすると宣言していたため、重役達はなんとか鷹山をつぶそうとしていた。鷹山が2年で築いた信頼なる仲間と、自分の土地に入ったとき、愕然とした。出会う人、出会う人、みんな目が死んでいた。希望のかけらもなかった、みんなこれが常識で誰がトップになってもかわりやしないとあきらめていた。これは、政治では世の中は変らないとだまされて選挙にいかない今の日本と一緒。鷹山はその時、火鉢に入っている灰を見ながら、「ここに火をいれてもすぐに消える」とため息をついた。しかし、鷹山は見つける。その隅のほうに燃えている火を。鷹山は号令をかける「止まれ」そして、みんなを集め語り始める。「私は今、この地に入って愕然とした、こんなにも人々の目が死んでいるとは思わなかった、ここはダメだとあきらめそうになった、でもこれを見てくれ、この灰の中にある火種を見てくれ」そう言って、風を送った。すると火は少し多きくなった。
「これを見て私は思った。我々はこの火種だ。私達が燃え続ければ、いつかこの火は大きくなる。これから、みんなが1人1人の心に自分の火種をつけていってほしい、この火が消えることのないように、自分を常に鼓舞していってほしい」そうやって、その火鉢の火をみんなで分け合った。改革が出来るその日まで、この火は絶対にけざずに進もう。この誓いが後々いろんな問題があっても、結束は乱れず、次々に改革してゆく。僕はまだ、上下巻の上しか読んでない。風邪に苦しみがら布団の中で一日で読んだ。この本を読ませるために風邪になったのかもしれないと思った。
今から、僕達がやろうとしていることはそういうことかもしれない。
でっかい海に飛び込んでゆく。
海はやっぱりまじででかい。とんでもなくでかい。
でも、火種は自分の中で燃えている、そして、そんな仲間がいっぱいいる。
この火種さらに燃え盛ってゆくように、また、映画で素晴らしき物語が生まれますようにと25日は三重県の椿神社にて、夜10時半から滝に打たれる。本物の禊なんて始めて。どれくらいきついか分からん、でも、これで逃げ出すようでは、海は俺を受け入れてくれないだろう。その前に、24日には大阪に行って、前から会いたかった、あの琵琶湖のまわりをみんなで手をつなごうと企画して、そして、本当につなげた人に会いに行ってくる。そして、24日の2時ぐらいから、雨が降っていなければ、大阪駅の歩道橋の上で路上でもして、交通費を稼がせてもらう。夜は天人に遊びに行こう。
そして、26日は中山先生に新年の挨拶とこれからのご報告に行ってきます。
それでは、みなさん、火種燃やしていこう。
学陽書房から出てる人物文庫の「上杉鷹山」これから改革しようと思ってる人には、まじでお勧めです。
過去から、学べることいっぱいあるな。
万歳



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